冬至

日本で冬至を迎えたことはとてもいいことだった。
一番日が短い日に2014年を振り返る。
2014年はわたしが36年生きてきて一番辛く悲しい出来事があった。
未だ乗り越えられずにいる最愛の祖父の死。
当たり前であるが冬至を越し、今日から少しずつではあるが日が長くなっていく。
雨も振れば晴れの日もある。
夜が来れば夜が明ける。
太陽が昇れば日が沈む。
人生もそうである。
楽しいことあがれば辛く悲しいこともある。
辛く悲しいことがあるからこそ、楽しさが際立つのだ。

事実は事実でしかなく悲しいとか楽しいとかは自分が判断し自分次第なのだ。
甘さを際立てるためにひとつまみの塩を入れる。
それが楽しさのある人生に起こる悲しいことではないのだろうか?

人は死ぬとどうなるのか。
火葬されるそれはいなくなるということではなく、素粒子となり広がりどこにでもいる
ということになっただけのこと。
死を迎えもう触れることはできないのではなく常に触れているということなのだ。
どこにでもいて離れることができなくなっただけ。
悲しむことはないのだ。
 

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